細分化された階級制と、それに伴う減量という「格闘技にもかかわらず自身を弱体化してより弱い相手を求める」錯乱的な行為。
そこを踏まえると、ボクシングにおける「強さ」の絶対的な答えは、明らかです。
階級性など、とどのつまりは小さくて弱い奴らの逃げ口上でしかありません。
誤解を恐れずにいうと(こういう表現こそが匿名ブログの卑怯な逃げ口上ですが)そういうイベントがあっていいと思います。
平等について歪曲した解釈しかできない欧米では無理ですが「全日本柔道選手権大会」のような無差別級日本一を決める大会があれば、どれだけ面白いことでしょうか。
VADAの創始者グループらは「全日本柔道選手権大会のような発想はクレイジー」と批判的ですが、格闘技は本質的にクレージーです。スポーツなんかじゃありません。
もちろん、打撃系格闘技のボクシングは体重體脂磅による優劣が明白で、肉体的ダメージも柔道よりも深刻になるケースが多いことから「井上尚弥が藤本京太郎を封じ込めて無差別日本一!」なんて事態は起こりえません。
現実として「無差別級の京太郎が日本一強いボクサー」という仮説は普通に成り立ちます。
もちろん「ヘビー級が最もレベルが低い」という日本の特殊な環境を考慮すると、相当に高い確率で「やはり日本では特殊な村田諒太」が京太郎をノックアウトするでしょう。
それでも、それは「ヘビー級だけど特別にレベルが低い京太郎」が「ミドル級だけど特別にレベルが高い村田」に粉砕されると言うだけの話であって「無差別級=最強」という方程式が崩壊するわけではありません。
強さとは何なのか?
「唯物的な強さ」がその答えだとしたら、そもそも「強さとは何なのか?」なんて問いかけなど必要ありません。それなら、答えは誰にだってわかります。
「唯物的な強さ」を超越する「強さ」があるとしたら?
それとも、フロイド・メイウェザーや亀田一家がコップの中に巻き起こした嵐、それが嫌悪だろうが軽蔑だろうが世間の耳目を向けさせる「エンタテイメント」でしょうか。
しかし、「唯物的な強さ」を前にしてしまうと「勇気」も「エンタテイメント」も、それこそ茶番にしか思えません。
PFPなんて概念は、それこそ「逃げ口上」の典型、常套句です。
アリの時代に The Greatest は 「世界最強の男」と訳され、寸分の違和感なく受け入れられていました。
柔道選手からMMAに転向してすぐにスターになったロンダ・ラウジーが「こっちのルールなら60秒でメイウェザーをタップさせる」と豪語して、それをボクシング関係者も否定出来ない時代です。
ボクシングは「唯物的な強さ」で世界最強の格闘技ではありません。
それを言い出すと「MMAも細かいルールがある。単純に相手の息を止めるための軍隊格闘技、急所への攻撃や目潰し、動脈噛みつきがアリなら、それを習得した兵士が一番強いことになるが、そんなことで決める最強を誰が見たいのか」 (海兵隊WBOジュニアライト級王者ジャメル・ヘリング)ということになります。
着地点を考えていない、お話の始まりです。
そもそも、こんな問いに納得出来る答えなどあるのでしょうか?
「バガボンド」(井上雄彦)の世界へ突入しそうです…。